あほろばの手記

生死確認かチラシの裏に書くような散文置き場

二つの詩

長いので隠します

  • 「篩い」


私達はたくさんの「篩い」にかけられ
或いは
自分以外の人々に「篩い」をかけて
日々社会の中で生活している


例えばタレント
顔の良し悪しボディラインからファションセンスまで多岐にわたり視聴者は「篩い」にかけて
あれば駄目これは良いと言い
多数の好意を得たものが人気者であり成功者として成り立っている世界


或いは執筆者
文脈の流れ感情の表現など様々な年齢の人達が様々に評価をし
それぞれに本を買い
結果売れた本が良い本であると商業ベースでは判断される


そこで忘れてはならないのが自分
良くも悪くも軸となる自分自身


自身を冷静に見るため「篩い」にかけるのは客観性を養うのに良いだろう


しかし
決してしてはならないのがその「篩い」から自身を捨ててしまうこと
自信が無いからみっともないから負けてるからと決して捨ててはいけない
他人の目と称して生きる責任を逃れ自分の成長を奪うことになってしまう行為なのだから


あくまで自分は「篩い」自身であること
その「篩い」は別の「篩い」にかけられても捨てられないものであること



最後の砦は自分自身
自分を守るのも自分
自分をよく知るものも自分
自分を捨てている者を他人が救おうとしても救うことは出来ないのだから





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  • 名も無きものたちへ


雑草と言う草は存在しない


一つ一つ形が違い


一つ一つ役割があり


一つ一つ生きている





「花か雑草の違いは、判断の違いに過ぎない。」と言う君の呟きにこの詩をそえて







あちらは反応無いなあ
どうしても反応を気にしてしまうのは半ば知り合いだからって気持ちだからだけど自分の気持ちを縛ってしまってよろしくないね
自由気ままに詩を出すならやっぱこっちか掲示板のほうかなあ