あほろばの手記

生死確認かチラシの裏に書くような散文置き場

とらんきらいざー

鬱の薬と言うチートを使い生活している

他人に気遣う余裕がないと言葉にもトゲが出るようで現場の女性陣は腫れ物を扱うような対応だったりする
彼女達は元請けで立場は上だが自分の方が年上だったり
自分は現場では女性は苦手なので仕方ないけどね
この辺は心が男の自分は女扱いされるとシンドイのと
しかし身体は女なので気遣いも必要と言う中途半端な状態の自分が悪い


創作したい私小説モドキやら書きたいとは思うものの
プロットを立ててるときにトラウマが出てきたりして
形にすらならない
落書きすら無理なのに
無駄なあがきだなとは思う


母の死をやっとこさ受け入れられた
自分の娘扱いだったのだと気付いたのがきっかけ
私の躾けや風呂の入り方まで他人に押しつけて酒浸り
身体の洗い方を小五で知ってやっと垢だらけから解放される
酒のつまみしか食べたことがないから鼻血が止まらない
基本手づかみ学校は先割れスプーンで犬食い

なんとか10才を超えてから図書館に通い
食べられる野草雑草を調べて畑で捨てられた野菜を食べる
釣りをおぼえて魚が食べられる環境になる
簡単な炊事をするようになりだんだん身体が楽になる
中学では一年で六センチづつ伸びて約140から160になる
そうしながら二十歳の頃には母に炊事や洗濯など教えてた
お嬢魔育ちで出来ないし
なぜ私が出来ないかもわからなかったらしい
私の子供とともに母は出来るようになっていった
そこには真摯な子供のような母が居た

以上のことが親子間であったので
普通とは違う悲哀があった
料理もアウトドアも裁縫も父が教えてくれたしね!

やっと身の回りのことが出来るようになったら
脳腫瘍で84で逝ってしまった
年は違えど我が子だったのだなと
生んだ覚えのない長女だったと
この嘆きは我が子を喪ったときの悲しみと同じなのだなと
やっと気付いた

理解はしたとは言え何も変わらない
もしかしたら悪化するかも知れない
理解は幸せとは限らない


言葉がきついのはそこから来てるんだろうなと
余裕の無さを感じる

ちなみにメンタルの主治医にはこの事は行ってない
世間一般の母親像から何故ズレてるのか
説明が面倒くさいからでもある

私は生きている
私は独りである
獣が独り生きているように
死ぬまで生きている