あほろばの手記

生死確認かチラシの裏に書くような散文置き場

音の記憶(あの日あの時私達は・・・)

あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/





今は郷里に帰ってますが自分はあの時大阪府茨木市耳原町の高速インター近くの文化住宅に居ました。
本格的に揺れる前の地響きの時点で覚醒してました。
この時の感覚はよく覚えていて、妊娠五ヶ月で眠りも浅かったのもあるけど遠くから何か来るような、遠くの海のさざ波がこちらまで来るような違和感を覚えてゆっくり覚醒していってました。
そうこうしてる内にどーんっと身体は真下から突き上げられ、ばちっと目を開けると部屋の電燈が踊るように天上にガンガンぶつかって、コードが切れて落ちやしないかと思ってるうちに二階建て5部屋続きの長屋アパートが傾いてきました。
この時一つの布団で寝ていた相方が起きて「危ない」と言いつつ私にかぶさってきました。
駆け落ちして冷蔵庫も何も無い部屋なので、寝室もテレビと引越しした時のまま置いていたダンボール数個だけ、その相方の私物が入ったダンボールが相方が寝ていたところに崩れてきてました。



揺れてる最中に「ダンボールぶつからなくてよかったね」とか言った記憶があるかな。
とても怖かったけど今逃げても仕方ないなるようにしかならないと腹を括ってたから揺れが収まるまでじっとしてました。
建物がきしみ悲鳴をあげてる。それもここだけじゃなくてあちらこちらで。人の悲鳴も遠くから近くから聞こえる。隣の部屋のおばあちゃんの声、数件先の奥さんが娘を呼ぶ声・・・泣き声、悲鳴、怒号、様々な声。いつもなら薄暗い日の出前は散歩してる人か何かを配達してるバイクの音と高速を走る車の音しかしないのに人の声で溢れている、反対に車の音はまったくしない。



後は過去の日記にちらほら書いたから端折ります。
その後はある程度復旧後に私が自力で運転して妊娠してた赤ちゃんも親の居る今の家に帰宅して無事出産。今の息子となるわけです。



音の記憶ってずっと残るんですね。
匂いの記憶もあるんですが・・・斎場と同じ匂いが西風にのってしてきたとか(郷里の火葬場は火窓から中が誰でも覗けるとても旧式のものでした。祖母の葬儀の時は身体が燃えていく状態を見ながらみんなで待ってたり)・・・いつまでも黒い煙や煤けた匂いがしてたとか・・・。



今は住んでいたアパートはまったくなくなって街並みもずいぶんと変わったようです。グーグルビューで街を見てました。




あなたに音の記憶はありますか?
そしてあの日あの時どこで何をなさってましたか?