あほろばの手記

生死確認かチラシの裏に書くような散文置き場

それとの出逢いはシンクロニシティ(意味のある因果)であり、シンパシー(共感)を呼び、螺旋を昇るがごとくに更なる高みへと―――行ければいいなあ


ある声優さんの日記に演じるキャラクターの言葉が自分の気持ちと重なりおさまるべき所へおさまり救われる、それが作品ともシンクロしていくと書いてありました。(故意に意訳、一部省略有)


自分がどんなに忙しくてもSSを書く理由がまさにそれであり、見えない傷を抱えたまま漫然と日常生活をしている自分が書いて行くうちに癒され救われる瞬間でもある。
基本的に自分の書くものは安直な人間賛歌であり、現実逃避と言うここにないどこかに救いを求めてるにしか過ぎない。


強ければ何者にも頼らず生きていくだろう、しかし裏切られて傷付くくらいなら最初から信用するなとはよく聞く台詞だがある意味詭弁だと思っている。それさえも弱さを隠すための言い逃れに過ぎないのならやはり私は心脆い人間なのだ。信用することも傷付くことも止める事はできないのだから、弱い故に自分は書き続けていくのだろう。



人は人の間で生きている、それが人間なのだ』と今でも父の言葉を胸に
梅雨の空の下
玄関先の食べきれなかった枇杷の実は熟し
甘酸っぱい匂いを漂わせて
土の上に落ちたばかりの鮮やかなオレンジ色
腐敗した柔らかな果肉
にじり踏む枇杷の種の硬さ
もうすぐ九回忌がやってくる



今や風の中から声は聞こえない
ただ身のうちから響くものあり
おもうがままなしえ
あるがままにいきよ
彼の名は私の心の名
響き木霊する消えない歌
返すことのできない真言
もうすでに彼は私なのだ
嵐は過ぎ傍らに不滅の名
繋いだ手はもう離れない