あほろばの手記

生死確認かチラシの裏に書くような散文置き場

幻視家(ヴィジョナリー)を探して

ウィリアム・バトラー・イェイツを調べようと検索してたら素敵なサイト発見しました。


夢学
http://www1.harenet.ne.jp/~aleph/index.html


サイトの更新は止まっているようですがのんびり読もうかと思います。
ちなみにイェイツはケルト文学の小説家であり詩も書いています。
国立民族博物館発行の「みんぱく」でケルト文化が紹介されていました。
ケルト文化の特徴として彼のことが出て気になったので調べています。
現代日本だと霊能者とか俗っぽく胡散臭くなるのにケルトでは妖精たちや精霊が普通に生活の中で語られるので出雲の神たちや九十九神と語られ方が変わらないのはとっても親近感がありました。
特徴的な一文を載せておきます。


アイルランドでは妖精たちは、いまだに生き残っていて、心やさしい者たちには恩恵をあたえ、また、気むずかし屋たちを苦しめている。’今までに、妖精とか、何かそういったものを見たことがありますか’とわたしはスライゴー地方の老人に尋ねてみた。’奴らには困ったものだよ’という答えが返ってきた。
たとえ新聞記者といえども、もし真夜中に墓場に誘い出されたなら、妖怪変化(ファントム)の存在を信じるだろう。というのは、どんな人間でも、もし人の心の奥に深い傷跡を残すような目に会えば、みんな幻視家(ヴィジョナリー)になるからだ。しかし、ケルト民族は、心に何の傷を受けるまでもなく、幻視家なのである。
彼ら(妖精)が堕天使であるという証拠もたくさんある。この生き物の性質をよく見てみると、彼らは気まぐれで、善人には善をもって報いるが、悪人には悪をもって報い、ひじょうに魅力的であるが、ただ良心ー節操がない。」
(「ケルト妖精物語」イェイツ編著/井村君江訳より)


参考サイト
http://island.site.ne.jp/fairy/index.html
参考ページ
http://island.site.ne.jp/fairy/litera/yeats.html


自分のような古代都市の上に住む人間はすべて幻視家(ヴィジョナリー)じゃないだろうかと思っています。
霊を信じるとかではなくて普通に生活の中で祖霊や精霊や古き神々を大切にして、町の角々にある塚や地蔵菩薩荒神様に誰彼なく新しい榊や花が添えられ手を合わせるのが当たり前の街です。それが神代の古の時代から現代までそしてこれからも続くことを願っています。
工事の安全のために酒や盛塩ばかりではなく梅干も添えたりするのがこの地域の特徴だったりします。道路拡張の時はなるべく塚を避けて計画がされることが多く、もし移動の際は神主によって伺いを立て物々しくお引越しが行われます。
自分の解釈では霊を見る見えないことより、精霊を敬う気持ちがあるか無いかが幻視家の条件じゃないかなとも思ってたりします。


今度書く記憶鮮明未来篇の構想もかねて調べてたり。
幻想的なシーンで精神的な救済と心のつながりを書く予定。
そして覚めてみる夢の続き、つまり希望のある現実を書く予定。
幻想の街にて彼女と彼は邂逅する。